全特 2017年1月冬号
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五稜郭・諸術調所跡四季折々の表情を見せる五稜郭。中央の建物・箱館奉行所を囲むように築かれた稜堡式の城郭。1854年、日米和親条約の締結により箱館開港が決定すると、防御を考慮し、箱館奉行所を箱館山から移動させ、五稜郭を築造した。綿密な設計のもと、1857年に築造が始まり20年かかると言われた工事は1866年に完了。前島密が設計者・武田斐三郎の塾(諸術調所)に入塾が叶ったのは1859年、武田が多忙を極める時期であった。 箱館戦争の舞台となった五稜郭。今では函館市を象徴する観光名所ですが、美しい巨大な星形は、国防のためにもっとも有効な形として考えられた結果でした。一八五四年、ペリーから開国をせまられた幕府は、江戸から離れた下田と箱館の開港を約束します。箱館はもともと北前船の拠点でしたが、19世紀初頭、海商・高田屋嘉兵衛が造船所の建設や道路の改修など基盤整備を行ったことにより、都市としてのにぎわいをみせていました。 前島は、横須賀で竹内卯吉郎に港湾の重要性を説かれ、世界への一歩を踏み出していました。竹内も前島の才能を見込んで軍艦操練習所に入所させようとしたところ、「幕臣ではなかったため」入所に四ヶ月の時を要しました。ようやく入所が許されたものの、座学ばかりの日常と、周囲の「武士は文武を主として、商業の賎きを語らず」という考え方に戸惑う日々が続いていたようです。ある日箱館から帰ってきた桜井という湧谷藩の武士から、箱館開成所所長・武田斐三郎がアメリカの商船長から海運について学んでいると聞き、箱館行きを決意します。五稜郭内にある武田斐三郎の彫像。触れると賢くなるという風聞が広まり、顔はピカピカ。先祖に武田家の血筋を持ち、ペリーから人物と学識の高さを称えられた記録が残る。1964年12月に五稜郭築城100年を記念して高さ60mの旧タワーが開業。2006年4月1日に現在の新タワー(98m)に建て替わった。五稜郭の全貌が一望できる。武たけ田だ斐あや三さぶ郎ろうに学ぶため箱館へ03

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