全特 2017年2月特別号
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 阿智村は南信州の山村で、一九五六(昭和三十一)年に村が誕生して六十年、私は村長に就任して二年になります。就任に当たって「観光立村」をテーマに掲げ、人口約六八〇〇人の村に、全体で約一三〇万人の観光客をお迎え出来るようになりました。まさに、「観光で成り立っている村」ということができます。 ただし、村民の多くが観光業に従事しているというわけではなく、村の就業人口三五〇〇人強のうち、観光業、サービス業に属しているのは約三分の一の一三〇〇人。農業にたずさわる人もいれば、近隣の飯田市の企業に勤める人もいます。京からは半日かけてなんとかたどり着くようなところです。 しかし、最近は冒頭にお話ししましたように、たくさんの観光客に来ていただけるようにもなってきました。その要因には、星空をメインにした通年型の観光施設やイベントがあり、紅葉や花桃など、四季折々の景観にすぐれ、歴史においても見るべき史跡があり、のんびりとくつろげる温泉郷があり――と、さまざまな景観、施設などが揃っていることがあると思います。 それらを、どう有機的に結びつけ、PRしていくか。そこには戦略的な思考が重要だと考えています。「いろいろなものがあります」とメニューを広げて紹介するだけではなく、星空のように私たち阿智村村民が何気なく当たり前の見てきたものを地域の資源として再発見し、その資源に集中して〝物語〟をつくり、いわば色づけてプロデュースしていくことが求められているのです。 PRの手法も、従来のようにパンフレットを作成するだけではなく、テーマ性のあるイメージビデオ(映像)を作成したり、書籍として発行したりといったことがあるでしょう。村役場の取組みとしては、婚姻届やオートバイのナンバープレートに星空をデザインし、星空日本一の村全体の〝物語〟のなかに組み入れるような施策をとっています。 リニア中央新幹線が開業するまでの十年、私は阿智村を「滞在型の観光立村」にしたいと考えています。東京から四〇分、名古屋から二〇分の地域だからこそできる滞在型観光には何が欠かせないのか。おそらく南信州各市町村、岐阜県中津川市など近隣の市町村と連携し、戦略的に一つの〝物語〟をつくっていくことも必要になるでしょう。 郵便局の地域貢献から地方創生の取り組みも、同じような視点が大切ではないでしょうか。一つのテーマに絞って施策を有機的に連携させていく。それが、村が活性化していくことにも繋がる。そのように考えて村政に取り組んでいます。講演抄録村の運営も戦略的思考を持って取り組む長野県阿智村村長 熊谷秀樹1地方創生の「選択と集中」 阿智村には東京からだと約四時間、名古屋からだと約二時間かかります。 ところが、十年後の二〇二七年に開業予定のリニア中央新幹線が実現すれば、東京から四〇分、名古屋から二〇分の地域になります。まったくの通過点になるか、それとも目的地となり得るか、この十年で村のあり方が大きく変わってくる、まさに「この十年が勝負」の村なのです。 その阿智村には日本一と呼ばれるものが二つあります。一つは、星空。十年前の二〇〇六(平成十八)年、環境省から浪合村(後に阿智村に編入)が「星空日本一」の称号をいただきました。そのことを契機に、〝星空日本一〟を活かす村づくりを進めてきました。 もう一つは花桃。阿智村内の園原地区にある月川温泉郷周辺は「日本一の花桃の里」と知られています。GWの頃には毎年約三十万人の観光客が花桃を愛でに訪れます。 歴史を振り返ると、近江国(滋賀県)を起点とした「東山道」が長野・岐阜県境の神坂峠を越えていました。東山道は七〇一(大宝元)年から開かれたまさに古道で、最大の難所といわれた神坂峠越えなど古事記や日本書紀、万葉集など多くの古典文学に取り上げられています。 歴史的な面ではもう一つ、満蒙開拓平和記念館が村内の駒場地区にあります。昭和の初期、日本から国策として満州国に渡った農業移民(満蒙開拓団)のうち長野県からは最多の三万三〇〇〇人が渡ったとされています。その歴史を学び、平和を祈念する施設として二〇一三(平成二十五)年にオープンしました。豊富な観光資源を繋ぐ「滞在型」観光 阿智村は東京と名古屋の間にあり、地理的には一見、訪ねやすいところに位置しているように思えますが、実は東星空写真提供 株式会社阿智 昼神観光局05

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