全特 2017年4月春号
2/20

長崎は江戸時代、200年以上もの間、唯一世界へ開かれた窓口であった。江戸も中期になると、蘭学が盛んになり、1824年にはシーボルトによる鳴滝塾が開かれる。幕末になると、開国要求に伴い、列強の情報・文化が押し寄せた。世界を知るため、日本を守るために、新進気鋭の者たちが長崎に集う。前島密(当時、巻退蔵)もその一人であった。前島 密翁の足跡を訪ねて❹ 特集郵便局の原点対馬市・長崎市英語を学ぶ重要性を再認識 万延元(一八六〇)年、二度の日本一周から箱館に戻った前島は、日本の行く末を憂い、外国奉行組頭向山栄五郎の帰府に伴い、江戸へ帰ります。ほどなく、長崎奉行所の調役として赴任する小松氏の従者として、長崎へ随行する機会を得ました。この長崎滞在は短いものでしたが、英語を学んでいた瓜生寅と知り合います。イギリス商人、トーマス=グラバーは安政6(1859)年、長崎開港直後に来日。グラバー商会を設立して茶や絹の輸出と船舶・武器の輸入に従事した。南山手の丘上に建っているが、グラバーが文久元(1861)年に借地した記録があり、住宅は文久3(1863)年の建築と判明している。日本に現存する木造洋館としては最古のもの。

元のページ  ../index.html#2

このブックを見る