全特 2017年4月春号
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グラバー園から長崎港を望む。グラバー、リンガー、オルトの旧邸のあった敷地に、長崎市内に残存する歴史的建造物を移築し、長崎市を代表する観光施設となっている。 前島密は二十一歳(一八五五)の折、肥後守岩いわ瀬せ忠ただ震なりから英語を学ぶ重要性を説かれ、英語を学ぶ決心をします。「英語は米国の国語となれるのみならず、広く亜細亜の要地に通用せり。且英国は貿易は勿論、海軍も盛大にして文武百芸諸国に冠たり、……余は其教示に依て将来の方針を変じ、専ら英語を学ばんと決心せり」(『自*1叙伝』)。ところが、当時は英語を学ぶ手段もなく、心の内に秘めていた思いが、瓜生によって呼び覚まされます。 文久元(一八六一)年ロシアの軍艦ポサドニック号が対馬に侵入し、向山栄五郎が赴くことになり、随行して対馬へと向かいます。 前島は、対馬への往路が時間のかかることに疑問を持ちますが、厳原を経由して、芋崎に到着してみれば、幕府の思惑どおり英国の介入により、ロシアは退去した後でした。前島は、ロシアの住居設営地跡を視察し、世界の中の日本という視点から、国防を考えなければならないのだと思い知らされます。 帰途、前島は、外国奉行一行と別れ、英語を学ぶべく、長崎へと向かいます。グラバー園と隣り合わせにある、国宝・大浦天主堂。元治2(1865)年に建立された、現存する日本最古のキリスト教建築物。原爆投下により、多大な被害に遭いながらも、焼失を免れた。開国により役目を終えた出島は、周囲が埋め立てられ、やがてその姿は都市の中に埋没。昭和26(1951)年以降、長崎市は出島の復元に向けて発掘調査から取り組んできた。2017年の現在では、建物の復元も進み、往時の風情も感じられる。年末には表門橋が完成予定。事業開始から100年を迎える2050年には、海に浮かぶ出島が見られるという。前島が日本を二周した観光丸は、安政2(1855)年、長崎海軍伝習所練習艦としてオランダより江戸幕府へ贈呈された。明治9(1876)年に解体されているが、昭和62(1987)年、国立アムステルダム海事博物館所蔵の設計図面と模型を基に、当時の姿になるべく近いかたちで復元・建造が行われた。現在は、長崎港をめぐる遊覧船として使用されている。外国奉行組頭向山栄五郎に随行して対馬へ*1 如々山荘において前島が書き記した明治9(1876)年までの日記。03

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