ZENTOKU 2017年秋号
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これからも地域の拠点山の暮らし再生拠点・やまこし復興交流館おらたる947︱0299新潟県竹たけ沢ざわ局長友とも野の 敦あつ史し 地震発生から十数年が経ち、一見地域は復興を遂げたようですが、村の人口は半減し、住民の暮らし方も変わってきました。錦鯉養殖業を引き継ぐ若い世代は、車で二〇分程度の通勤圏内である長岡市から実家へと通ってくるのです。その結果、子どもたちが減り、学校が統廃合され、金融機関の撤退等、日常生活における不便さが際立ってきます。 私が局長を務める郵便局は、牛の角突きや錦鯉の里として、その名を知られる山古志にあります。 二〇〇四年十月二十三日(土)夕刻、阪神淡路大震災以来となる震度7の中越地震が山古志村(当時)を襲いました。現在は長岡市に合併されましたが、地震の起こった当時は山古志村。「日本の原風景が残る村」として、棚田の広がる美しいところでした。 土石流や山崩れにより村域に通じる道路は寸断され、あらゆるライフラインはストップし、余震が続く中、住民はおよそ二年半もの間、全村避難を余儀なくされました。竹沢郵便局も局舎が傾き、備品や書類が散乱していたとのこと。当時、私はまだ郵便局の職員で、柏崎の郵便局に勤務していましたが、被害の様子はひしひしと伝わってきたものです。復興する郵便局の今2語り継ぐコミュニティの大切さ 中越地震の際は、「地域コミュニティ」の強さが功を奏したと、折りにふれ語り継がれています。点在する集落ごとに、地区の区長が情報を収集し、全ての住民の安否確認を行い、互いに助け合って救援を待ちました。行政の方でも避難所、仮設住宅を地区ごとに住み分けられるよう配慮するなど、地域コミュニティを念頭に置いた施策を取ってくれました。 変化する住環境の中、地域になくてはならない郵便局が「地域コミュニティ」の核となり、災害による被害を少しでも減らせるよう、地域との交流を深めていく覚悟です。❶震災直後の錦鯉養殖場。倒壊寸前。❷現在の建物。堅固な造り。❸震災直後の建物内部の様子。水槽が壊れ、錦鯉も全滅状態。❹生き残った鯉を中心に一歩ずつ再生し、復活した錦鯉。❷❹❶❸21

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