ZENTOKU 2018年春号
3/20

*2 嘉永7(1854)年肥前国(現在の佐賀県)生まれ。お雇い外国人建築家ジョサイア・コンドルに師事し、工部大学校造家学科(現在の東大工学部)を卒業後、英国留学。帰国後工部大学校教授に就任する傍ら、日本銀行本店をはじめ、現代に残る数々の名建築を手掛けた。*3 天保6(1835)年越後国(現在の新潟県)生まれ。明治の初頭日本に郵便の仕組みを築いたほか、江戸遷都、海運、新聞、電信・電話、鉄道など、その功績は多岐にわたる。東京大空襲によって創業当時の姿を失っていた東京駅は、二〇一二年、五年半の歳月をかけた復原工事を終え、在りし日の姿が蘇りました。 東京駅は、明治二十二(一八八九)年に神戸まで全通した官設鉄道の新橋駅と、私鉄・日本鉄道の上野駅を結ぶ高架鉄道の駅(中央停車場)として建設されました。明治四十一(一九〇八)年から本格的に建設工事が始まり、大正三(一九一四)年に「東京駅」として開業に至りました。 設計は、当時の日本建築界を代表する辰野金吾*2らによるもので、「辰野式」と呼ばれる建築は、その頑丈さから「辰野堅固」とも称されたそうです。実際、関東大震災の折には、さほどの被害はなかったそうですが、東京大空襲では屋根が焼け落るなど、多くの部分が失われました。 戦後は突貫で進められた修復工事でしたが、平成の工事は修復ではなく、創建当時の復原という方針のもと、伝統を受け継ぎつつも、現代の基準に適合した安全性を有する施工が行われました。 辰野がこだわった干支のレリーフに代表される装飾も再現されています。 鉄道と郵便事業に密接な関わりがあることは言うまでもありませんが、そもそも日本の鉄道敷設にあたって、前島密翁*3がキーパーソンとなったことは、あまり知られていません。明治三(一八七〇)年、財政的な負担が大きな課題となり、時の太政官会議では「鉄道敷設は時期尚早」と赤レンガの壁をよく見ると、保存されたレンガ壁と復原されたレンガ(3階部分)の境が見てとれる。写真上:大正3年 辰野金吾の設計により創建(鉄道博物館所蔵)写真下:昭和20年 戦災により屋根と内装を消失柱頭部分に「復原完成2012年」を示すローマ数字が刻印されている。装飾も残っていた創業時のものを使用(黒っぽく見える部分)。KITTE屋上庭園から望む東京駅。03

元のページ  ../index.html#3

このブックを見る