ZENTOKU 2018年夏号
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建造物はほぼ失われてしまいましたが、明治二十九(一八九六)年に近代公園設計の先駆者、長なが岡おか安やす平へいの*2設計により公園として整備され、城下には秋田市の行政・公共機関の多くが置かれ、現在も官庁街を形成しています。 また、敷地内には、与次郎稲荷神社があります。佐竹義宣公の前に一匹の狐が現れ、「殿の築城により住む場所をなくしたので、住処を与えてほしい。願いが叶えられるなら殿のお役に立ちましょう」という狐に、義宣公は茶園近くの場所を与えて「茶園守の与次郎」と名付けたところ、与次郎狐は秋田と江戸をわずか六日で往復*3する飛脚として活躍しましたが、仕事をなくした飛脚たちにより、ついには殺されてしまったという悲しい伝説です。与次郎狐を哀れんだ義宣公が与次郎狐を祀ったと言われています。 このように秋田県は、国の重要無形民俗文化財の登録数日本一と言われ、伝統と伝説の息づくところです。最も有名なのは東北三大祭りの一つ、竿燈まつり。竿燈全体を稲穂に、連なる提灯を米俵に見立て、額・腰・肩などにのせ、豊作を祈るまつりです。竿燈は、外町(町人町)に住む職人や商人によって始められ、お盆に門前に立てる高灯籠を持ち歩けるようにしたのが竿燈の始まりとされています。八月三日から四日間、一三〇万人を超える人出で賑わいます。 秋田でもう一つ、著名な重要無形民俗*2 日本初の公園デザイナー。明治年代から大正初期にかけて造園技術の第一人者として活躍した。札幌市の中島公園の設計や東京の飛鳥山公園、金沢兼六園の改修などでも知られる。1902年に逓信省営繕課に勤務していた経歴があり、逓信営繕が関わる諸官舎庭園の設計と監督指導にもあたった。*3 郵便創業期、東京─京都間で72時間(3日)を要した。秋田市立赤れんが郷土館(旧秋田銀行)。明治42(1912)年完成。古い街並を保存するため、商家も意識した補修や建て替えを行っている。秋田新藤田局・伊い藤とう 東あずま局長。松原簡易郵便局を除けば、藤倉水源地から最も近い郵便局。「局長として赴任してまだ数ヶ月ですが、局員としても勤務していたため、お客さまに温かく迎えていただきました。みまもりサービスも、地元の親御さんと遠方に住む子どもさん、双方をよく知っている郵便局だから、自信を持ってお勧めできます」と語る。秋田通町郵便局・和わ泉いずみ 正まさ人と局長。ねぶり流し館にほど近い、商業地区にある郵便局。「竿燈まつりだけでなく、たくさんのお祭りがあり、できるだけ参加しています。古くからの商店主の方々が地域をもり立て、次世代も伝統を守って引き継がれています。その中で郵便局としてできることを行っていきます」と語る。秋田新藤田局秋田通町郵便局❶❷ 竿燈の体験もできる秋田市民俗芸能伝承館。竿燈の原型は笹などに願い事を書いた短冊を下げて練り歩き、川へ流して真夏の邪気や睡魔を払う「眠り流し」とされる。秋田市では、「眠り」が訛って「ねぶり流し」と呼んでいることから、愛称はねぶり流し館。竿燈のほか、郷土の行事や民俗芸能の保存伝承の資料も展示されている。❸ 秋田市民俗芸能伝承館に隣接して、江戸時代後期の商家の様子を伝える旧金子家住宅が保存展示されている。秋田竿燈まつりのフレーム切手❷❸❶郵便局の竿燈も登場する。昭和53年から参加。技を披露するのは、局長や郵便局員。04

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