ZENTOKU 2019年夏号
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記録から見える前島密の横顔❶2019年8月発行 編集・発行・全国郵便局長協会連合会 〒106-0032 東京都港区六本木1-7-27 TEL:03-3505-4830 http://www.postmasters.jp広報 ZENTOKUPostmasters magazine 前島密は、自叙伝によると4回名前が変わっています。近年「前島密」になる以前の名前の新たな資料が発見され、密●か●な●人物像が少しずつ解き明かされてきています。幕末から明治にかけて、日本から世界を駆けた前島密。皆さんの町にも未発見の足跡が残っているかもしれません。◉記録をたどる案内役は「ひそかさん」「ひそかさん」は、2015年、前島密生誕180年を記念して、実行委員会が作成したキャラクター。2019年は没後100年にあたる。0歳24歳32歳34歳頃1835185818661868191985歳上野房五郎巻 退蔵前島来輔前島密前島密〈名前の変遷〉ひそかさん安あ積さか艮ごん斎さいの生誕地福島県郡山市にある安積国造神社所蔵の「安積塾門人帳」に「越後高田在、上野房五郎」の記載が確認された*1。門人帳には、吉田松陰、高杉晋作、岩崎弥太郎ら2280余の入門月日と氏名が記されている。前島密が江戸の安積塾(見山楼)へ入門したのは20歳(安政2(1855)年)のとき。安積艮斎は当時江戸随一の朱子学者と言われ、昌平坂学問所の教授も務めた人物。艮斎は、前島密(房五郎)に、ある書幅を与えている*2。朱子が重要視した「中庸」のことばが書かれたもので、「高い官位にあるときは下位の人をおさえつけたりせず、低い官位にあるときは上位の人にとりいったりせず、ただ自分自身を正しくして、他人に求めることをしなければ、心に怨みを持つこともない」という意味。艮斎は前島密を逸材と見て期待し、将来重責を担うことを思い描き、重職に就いた者の戒めとして、送ったのではないかと考えられている。安積国造神社 所蔵*1 安積国造神社宮司 安藤智重氏が門人帳から「上野房五郎」の記述を発見した。*2 「在上位不陵下、在下位不援上、正己而不求於人、則無怨。上不怨天、下不尤人」という書幅。現在は、個人蔵。私は4回名前を変えたのだ

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