ZENTOKU 2019年夏号
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前島記念館館長 利根川文男氏「明治10年の頃、西南戦争で多忙だった大久保利通に代わり、前島翁は内政全般に携わっていたようです。大久保との往復書簡は、当記念館に60通ほど所蔵しています」前島記念館上越市下池部、前島密の生家跡に建つ。記念館の敷地には上野家(前島密の生家)の墓がある。大久保利通から前島に宛てた手紙(上)前島夫人なかが大切に保管しており、貴重な資料となっている。前島密が書き残した「鴻爪痕(自叙伝)」の草案(下)大久保との交流がうかがい知れる。『鴻爪痕』(大正9年版)は、前島密の一周忌の記念として関係者に贈呈されたもの。前島密が記した自叙伝の他、聞き書きや、前島密ゆかりの方による寄稿文などが収載されている。顕彰碑の拓(前島記念館内展示)表書きは渋沢栄一の書を刻んだもの。裏面には前島密の功績と人柄を称える碑文が刻まれている。郵便・通信事業、郵便貯金創設、海運業や新聞界の先駆者、電信・電話・鉄道の開通の殊勲者、教育事業や、保険・海員掖済などの社会的事業に対する貢献、東京遷都主張や維新前から漢字廃止を唱えたほどの非凡な先見を称えている。05あった。鉄道建設では鹿鳴館、帝国ホテル、帝国劇場などを設立した大倉喜八郎、渋沢栄一らとの交流が見られる。「前島記念館にある大きな顕彰碑の表書きは渋沢栄一、裏に記した前島翁の功績の文章は市島謙吉、会津八一によるものです」(利根川氏)交通など日本近代化のインフラを築く 慶応三年十月、十五代将軍、徳川慶喜は朝廷に大政奉還するが、翌十一月、前島は「それだけでは実質がない」と、領地の三分の二を返納することを建議した。領地削減の儀である。 明治元年から二年にかけて、明治政府を樹立した薩摩藩・長州藩・土佐藩ら新政府軍と、旧幕府勢力は戊辰戦争を繰り広げた。それは「日本の統一をめぐる個別領有権の連合方式と、その否定および天皇への統合を必然化する方式との戦争」(原口清『戊辰戦争』塙書房、一九六三年)と規定される。「そのため、この建議が検討されていれば、戊辰戦争は回避できたかもしれない」と利根川氏は語る。 続いて、江戸遷都論の提言も大きな功績である。 江戸遷都論のキーマンは、初代内務卿を務めた明治政界のリーダー、大久保利通。慶応四年三月、前島は大久保の大阪遷都論に対して、六か条に及ぶ江戸遷都論を提言した。その提言が実り、江戸遷都が実現した。 そのほか、明治三年四月、租税権正の職にあった前島は、租税の金納化などの税法改正に取り組んだ。明治六年、地租改正条例の制定により、税率の統一、金納化が実施され、今日の租税制度の基盤となった。

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