ZENTOKU 2019年夏号
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横須賀市浄楽寺で行われた2019年墓前祭没後100年となった節目を迎え、例年を超える参拝者で賑わい、はがきの木タラヨウの植樹も行われた。「漢字御廃止之儀」の草案(前島記念館所蔵)赤字、訂正も全て前島密によるもの。「日本が、国家社会の柱である主体性を維持するために、教育には誰もが理解できるなるべく簡易な文字文章を用いるべきだ」という考えから建議したと思われる。「鴻爪痕(自叙伝)」草案の一部。(前島記念館所蔵)06 さらに、度量衡、測量技術も進化させている。前島は明治四年八月、度量衡改正掛長として尺貫法を統一。メートル法への足固めを進めた。 鉄道インフラの構築・整備を見ると、まず、挙げられるのが鉄道臆測の作成である。前島は明治政府に招かれた直後の明治三年三月、大隈重信の依頼で、鉄道建設費と営業収支の見積書を数日で作成した。これが東京・新橋間の鉄道の経営基盤の構築につながっている。 利根川氏は、「前島翁は郵便や鉄道、海運、通信・物流、産業振興など、まさに近代日本のインフラの基盤を、将来を見据えて構築してきた人物です」と語る。 では、海運においてはどのような功績があるのか。 明治七年、駅逓頭であった前島は、今日の東京海上日動保険の基礎となる海上保険を編成した。とともに、海運振興政策として、明治八年一月、横浜・上海航路の民間運航を岩崎弥太郎に命じ、国が助成して三菱商会が誕生した。それが、のちの日本郵船となる。 さらに明治十三年八月、前島は日本海員掖済会を発足させた。海員の素質向上、福利厚生を図る団体で、日本で最も古い公益法人である。 通信面の基盤構築を見ると、前島は明治二十一年十一月、逓信次官として電話事業を官営で実施している。明治二十三年十二月に東京・横浜間で電話が開通したが、「全国の郵便局に電話を設置し、瞬時に全国展開を図るところが前島翁らしい」と利根川氏は語る。 また、前島は明治五年六月、飛脚問屋から郵便と貨物を分離し、貨物専門の陸運元会社を設立している。それが内国通運という全国輸送のネットワークとなり、現在の日本通運につながっている。 新聞事業の育成も挙げられる。前島翁は明治五年七月、郵便報知新聞を創刊した。

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