ZENTOKU 2020年冬号
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 記録から見える前島密の横顔❸2020年2月発行 編集・発行・全国郵便局長協会連合会 〒106-0032 東京都港区六本木1-7-27 TEL:03-3505-4830 http://www.postmasters.jp広報 ZENTOKUPostmasters magazine前島密は、慶応2(1866)年、幕臣平岡凞一の取りなしで、幕臣前島錠次郎の家督を継ぎ、巻退蔵から前島来輔と改名します。前島32歳の時でした。また、この頃生涯の伴侶となる、なかと結婚。江戸で開成所の教授などを務めた後、兵庫の開港を知るとかねてより関心を持っていた税関業務を学ぶため、兵庫奉行所を希望し、神戸に赴任して頭角を現していましたが、鳥羽伏見の戦いが始まり(慶応4(1868)年)日本は混乱の中にありました。そんな中前島は、大久保利通(当時一蔵)が進める浪速遷都論を知り「江戸遷都論(大久保君に与えて東遷を論ずる書)」をまとめます。大久保に直接手渡そうと試みるも、人に託すしかありませんでした。◉記録をたどる案内役は「ひそかさん」「ひそかさん」は、2015年、前島密生誕180年を記念して、実行委員会が作成したキャラクター。2019年は没後100年にあたる。0歳24歳32歳34歳頃1835185818661868191985歳上野房五郎巻 退蔵前島来輔前島密前島密〈名前の変遷〉ひそかさん 明治7(1874)年、駅逓頭兼内務大丞に任命されていた前島は、明治9(1876)年、大久保から「かつて遷都の地は江戸以外にないと、江戸寒士前島来●輔●という者が建言してきた。その功績に感謝したいが、その人のことがわからない」と聞き、「前島密本人であること」を披露したという。 前島家の養子となって「前島来輔」となる果たして「江戸遷都論」は大久保の手に渡ったのか?▲『夢平閑話』を新聞に連載するにあたり、書かれた前島密の直筆覚書。◀「此閑話ハ明治二十六七年度吉田東伍氏ノ筆記ニテ読売新聞ニ聯日登載セリ」の解説がある。掲載前の草稿を前島が朱書訂正したものと思われる。(郵政博物館収蔵)(年齢は数え年)

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