ZENTOKU 2020年冬号
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海運振興★1881(明治14)年6月、東京・南品川の心海寺に設けられた海員寄宿所(日本海員掖済會創立の図、守屋多々志作)。海員寄宿所は海員の寄宿とともに乗船の仲介も行った。★05日本海員掖えき済さい会かいの創立 日本の海運は官民一体となって発展したといっても、課題は山積していた。中でも船員、乗組員の処遇・待遇の改善は大きな課題であった。 そこで、赤松則良、塚原周造、荘田平五郎、中村六三郎ら明治政府の要人や海運界の首脳約五〇人が発起人となって一八八〇年、日本海員掖済会を発足させた。前島はその発起人の一人として名を連ねた。 日本海員掖済会設立の目的は、海員の素質の向上とその保護救済である。「掖済」とは脇から助け導くという意味であり、「海員」とは船長以外の乗組員を指していた。 日本海員掖済会は一八八一年、東京・南品川にある心海寺の一部を借り受けて海員寄宿所とし、海員の寄宿と乗船の仲介を始めた。その後、海員寄宿所を横浜、大阪、神戸、長崎など主要な港に設置し、海員養成所も開設する。 さらに、乗船の斡旋、海員の教育訓練事業を行う一方、海員に対する医療の提供、船員貯金、養老扶助、遭難船遺族への弔意・慰藉など幅広い福利厚生事業を行った。 なお、日本海員掖済会の理事長職は、前島が他の要職を離れても最後までまっとうした職務とされている。それだけ、乗組員の待遇改善は前島にとっても日本の海運界にとっても重要な課題だったのであろう。 日本海員掖済会は一八九八年、日本で初めて法人登記を行い、二〇一三年には一般社団法人化、現在は一般社団法人日本海員掖済会として、その事業活動を続けている。日本海員掖済会の会長室に飾られている前島直筆の掛軸。前島密氏の親族が保有していたが、日本海員掖済会の創立100周年を機に名古屋掖済会病院を経て寄贈された。「国から名誉をいただいたが、晩年はひっそりと暮らそう」という前島の晩年の静かな思いが綴られている。明治後期、前島密自身による『日本海員掖済会創立の由来』草稿。これまで原稿の原本の所在は不明だったが、日本海員掖済会が保有していることがわかった。日本海員掖済会一般社団法人日本海員掖済会の現会長・谷山將氏は、「日本海員掖済会では、前島密氏を「本会創立の原動力」と位置づけ、敬意を抱いています。しかし、海運界への貢献が世間には知れわたっていないのが残念。我々をはじめ海運関係者の一層の取り組みが必要と感じています。」と語っている。

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