ZENTOKU 2020年夏号
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04 前島は官営による電話事業を実行段階へと進めた。明治二三年四月、電話事業に関する最初の法令である電話交換規則を公布し、加入者を募集。同年四月に東京、六月には横浜の電話交換局が設置された。同年一二月に、東京・横浜とその相互間で電話の交換業務を開始した。 明治二五年には大阪と神戸で電話交換業務が始まった。そして、明治後期にかけて電話の利便性が広く認知され、加入者は急増していった。 ちなみに東京電話交換局の所在地には、現在、日本工業倶楽部会館があり、壁に「電話交換創始の地」の碑が埋め込まれている。横浜電話交換局のあった横浜市中区の日本大通の一角には、「電話交換創始之地」の碑が立っている(現在は同地ビル改築中により別に保管)。なお、電話には有線と無線がある。現代の通信技術の基礎となった実用無線電話は、大正元年に鳥とり潟かた右う一いちら*3によって発明されたTYK無線電話機の登場を待つことになる。郵便局に電話交換業務を東京電話交換局と人の往来、富士山を描き、郵便(集荷)・電話(電話線敷設)業務をあしらった明治25(1892)年の国際年賀状の原画。 ★横浜電話交換局のあった地(横浜市中区日本大通)に、「電話交換創始之地」の碑が建てられている。明治23(1890)年12月に、横浜・東京間で電話交換業務が始まった。『東海名所改正道中記』に描かれた「電話局 日本橋 新橋迄十六町」の図絵。当時、日本橋の北側には魚市場があり、その賑わいも伝わる。★ 初期の電話事業において重要な役割を果たした電話交換業務。その実務を担ったのは郵便局であった。全国規模で情報伝達・通信網を普及させるために、郵便局はその拠点として大きな役割を果たした。 日本の郵便と通信に関する収蔵品を展示・紹介する郵政博物館(東京・墨田区)。江戸期からの郵便事業の歴史が*3 鳥とり潟かた右う一いち 明治16(1883)年〜大正12(1923)年。明治から大正期の通信工学の権威。工学博士。無線電話機の発明に成功し、逓信省電気試験所長を務めた。 1912年横山英太郎、北村政治郎ともに、TYK無線電話機を発明し、実用無線電話の先端を切った。世界で初めて実用化された無線電話機(TYK無線電話機)。TYKとは鳥潟右一をはじめ、開発者である技師の頭文字からとられた。★「電話創設」について、前島はメモを遺している。逓信次官時代に電話事業をめぐり苦労したことなどが記されている。★

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