ZENTOKU 2020年秋号
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友人たちと写る若き日の前島密(左端)。友人たちの氏名については、解明が待たれる。★フルベッキ(写真中央)から英語を学ぶ志士たち。後列左から3番目が何礼之。そのほか、奉行所通訳となる平井義十郎(フルベッキの左隣)が確認できる(板橋区立郷土資料館所蔵)。何礼之(板橋区立郷土資料館所蔵)05の留学生として欧米に三年間留学している。帰国後は身につけた英語を生かし、一八七〇年に近代日本における第一号の外交官としてフランスに勤務した。一八七五年に帰国し外がい務む大たい輔ふに就任し、在仏特命全権公使としてパリにも赴任した。一八八〇年に病没しているから、その生涯は三五年。短い一生だったが、外交官になって以降も前島との交流を深めた。大久保利通・西郷隆盛らとの出会い 前島が薩摩に赴いた背景には、英語を教える気持ち以上に、幕末から明治維新の変革の気運を肌で感じ取り、建策に生かす思いが強かったのではないだろうか。前島は開成学校に赴く藩船で、西郷隆盛と明さんは、記者時代、郵政担当だったことから、深い縁を感じ、前島と何の絆を調べている。 金子さんは「何は、一八六二年から細かな日記を書き記しており、一〇巻にも及びます。東京大学にマイクロフィルムで保存されていますが、漢文で記されているため、すべてを読み解くのは難しいものがあります。 前島が隠遁生活を送っていた如じょ々じょ山さん荘そうを訪ね歓談したという記述や、一九一九年四月二七日の記述には『前島遠逝』とあります。何は葬儀委員長も務めました。二人の強い絆が伺えます。 曾祖父にあたる何が壬み生ぶ馬まは、何礼之宅に寄宿し医学を学んでいましたが、曾祖父に何礼之の話を聞くことができていたら、前島とのエピソードも何か聞けたのかもしれません」と語った。金子秀明さん元日本新聞協会記者(郵政省、NTT担当)。FM中九州放送勤務を経て、現在株式会社日本テレソフト社長。(国会図書館所蔵)大久保利通大久保利通(国会図書館所蔵)西郷隆盛西郷隆盛出会っている。その際のことを、「波高く時間も少くして時事の談話に及ばざりき」と『自叙伝』に記している点からも、そのことがうかがえる。 また、前島が開成学校に赴任した当時、開成学校を監督する立場にあったのが薩摩藩士の大久保利通であった。英語の師、何礼之との縁 前島密の英語習得に、大きく関わった何礼之。長崎で出会ってから、二人の縁は前島が亡くなるまで続いた。 何礼之の血筋を引く元日本新聞協会記者の金子秀

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