ZENTOKU 2021年春号
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04 先の『鴻爪痕』における記述を踏まえると、新設された産業掛として時間のあるときに、国と国民に向けて東海道舟路の整備計画をしっかり立案しており、流通ひいては産業の発展に寄与する気概を察することができる。 『東海道中舟路之概略』の本編は、遠州灘の最大の難所である御前崎を避け天竜川などの河川に運河を掘削する新舟路、運輸、利益、費用、金策、返済の六項目にわたり、実現後の展望を含めて具体的な記述がなされている。それはまさに、新航路の提案とその収支・資金計画、さらに実現による経済効果をプレゼンテーションした〝静岡発! 殖産興業プロジェクト〟のオープニング・セッションであった。事業化にはいたらなかったものの、そこに新しい事業を立案する前島の卓越した構想力をみることができる。第一回内国勧業博覧会の審査官長に 「明治一〇年のことだ。某月某日、太政官に呼ばれて出向くと、博覧会の審査官長をやるようにいわれた。意外な任命に驚き、すぐに総裁の大久保卿に『私はその任務について見識もない。他の適任者を選べないか』と聞いてみた。すると大久保卿は、『君がそう答えるであろうことはわかっていた。だが、ぜひ今後の模範となるように、君にやってほしい』と。大久保卿の誠意を覚え、任命を受けることにした」 前島は『鴻爪痕 後半生録』のなかで、第一回内国勧古林年光作「上野公園地博覧会御改行之図」(2枚続)。錦絵左上の建造物が美術館。「美術館」という名称を最初に使った建物でもある。錦絵右には内国博のシンボルともいわれたアメリカ製の風車の模造品が目を引く。会期中に45万5000人近い来場者があった。(東京ガス ガスミュージアム所蔵)大久保利通 ★大久保利通★楊洲周延作「内国勧業博覧会開場御式の図」。内国勧業博覧会の開場式。「美術館」で盛大に開催された。前島は博覧会を押し進めた大久保利通の勧めにより、内国博出品物の審査官長に任命された。(東京ガス ガスミュージアム所蔵)業博覧会についてこのように述懐している。(要約) 第一回内国勧業博覧会(以下、内国博)は日本が初参加した明治六年のウィーン万博を参考に、国内産業の発展を促すとともに魅力ある輸出品目を育成することを目的として、初代内務卿大久保利通が推し進めたイベントである。明治一〇年八月に東京・上野公園、寛永寺本坊跡周辺で開催された。

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