ZENTOKU 2021年春号
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05上越市立歴史博物館学芸員荒川 将さん2015年、上越市立総合博物館(当時)学芸員として前島密生誕180周年祭に携わる。『郵政博物館 研究紀要第11号』に「静岡時代の前島密」を寄稿。 現在、前島密生誕の地・上越市にある上越市立歴史博物館で学芸員を務める荒川将さん。前島密生誕一八〇周年祭*6の生誕一八〇年記念企画展「前島密|越後から昇った文明開化の明星」の展覧会担当者として、前島密の資料調査を行い、改めて郷土の偉人を捉え直したといいます。 前島密は、もともとある社会の仕組みをうまく生かして新しい事業を生み出していった人だと思います。中泉奉行として赴任した際には、旧幕臣七〇〇世帯の江戸からの引っ越しに対応するために、浄財を募り、長屋を建設しています。また、彼らの生活を確保するため、勧かん工こう場ばを*7設けて養蚕や織物の仕事を教えるなど、地域振興に尽くしました。磐田市では、市の所縁ある偉人として時に触れて取り上げ顕彰しています。日本の中枢の舞台への礎は中泉 審査官長に任命された前島と内国博事務局は、明治九年に開催されたフィラデルフィア万博の審査規則を参考に内国博審査規則を作成した。また、前島は右大臣岩倉具視に賞しょう牌はい規*4則の伺いを提出した。賞牌は一等から三等。開催初日に褒賞を授与し、三等級内に満たない出品物には褒状を授与した。何を、どう審査し賞牌を授与するか、初の内国博だけに苦慮する面もあったはずだが、前島は先例の万国博を参考に、内国博にふさわしい審査規則にアレンジした。 全国から集まった出品物は全六区に分けて府県別に展示。出品総数は八万四三五二品*5に及んだ。全国的な出品活動は実を結び、内国博はその後の地方博の手本ともなった。内国博は輸出品目の〝品評会〞の性格もあわせ持っていたので、国内産業歌川芳春作「大日本内国勧業博覧会之図 美術館出品之図」。「美術館」内の賑わいと出品された品々を描いた錦絵。(東京ガス ガスミュージアム所蔵)*6 上越市、前島記念館、上越地区郵便局長会など、上越市内では地域の複数の団体が顕彰活動をしており、2015年は前島密生誕180年にあたることから、180周年祭実行委員会を組織。年間を通じて各種顕彰事業を行うほか、ロゴマークを作成し、郷土の偉人前島密をPRした。*7 一般に明治・大正期に開かれた百科商品陳列所をいう。現在のショッピングセンターにあたる。ここでは、商産業の振興施設を指す。 前島密が中泉奉行として赴任した期間は、一年ほどに過ぎないのですが、地域に残した業績は、やがて明治政府で近代日本のあらゆるインフラ整備に関わっていく礎となっているのではないでしょうか。 この時代に作成した東海道の河川を結ぶ運河を掘削して新たな水運(舟路)のルートを造る計画書『東海道中舟路之概略』は、前島が明治三年に明治政府へ提出した日本初の鉄道敷設に関する建議書『鐵道臆測』のベースになったものと近年の研究で明らかにされています。の充実ぶりを広く国内外に知らしめる効果も果たしたといえる。*4 優秀作に与えられる記章。メダルのこと。*5 8万4353品とも。総数については諸説あるが、8万品を優に超えたことは確かである。

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